ヨギ・バジャン師について
Yogi Bhajan (1929-2004)
Master of Kundalini Yoga & Tantric Yoga
Spiritual director 3HO Foundation
Siri Singh Sahib of Sikh Dharma
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ヨギ・バジャン師は,1929年にインド・パンジャーブ地方(現パキスタン領)に生まれました.
裕福な医師の家庭で育ち,好奇心旺盛だったバジャン少年は,祖父から様々な哲学を学び,
8才の時,当時ヨガと武道の達人として知られていたサント・ハザラ・シン師に弟子入りすることを両親に懇願したのでした.
(師匠のサント・ハザラ・シン師)
入門を許されたバジャン少年は,ここから本格的なヨガ修行を開始することになります.
サント・ハザラ・シン師の修行は本当に厳しく,そのあまりの厳しさから弟子が夜な夜な逃げ出してしまうことで知られていました.
武道の修行では,多い時は襲いかかってくる7人相手に練習をさせられました.
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ちなみに,シーク教徒の間で伝わる伝統武術は「ガトゥカ(Gatka)」と呼ばれ,
棒術や剣術,相撲などの手技と合わせて,心身鍛練法としてクンダリーニヨガを学んでいきます.
ガトゥカを修練している人たちのことを総称して「ニハング」と呼びます.
私は2003年にニューメキシコで運良くニハングの方々と出会い,
武術の話をしたら色々な技といくつかの心身鍛練法を惜しげもなく教えてくれました.
その時に教えてもらったテクニックの1つが「身心強化ヨガ」なのです.
(インド伝統武術として最も有名なカラリパヤットはハタヨガがベースです)
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またある日は,木に登らせ,「自分が戻って来るまでそこにいなさい」と言われ,師匠が戻ってきたのは3日後…
バジャン師は,雨水で喉の渇きをしのぎながら何とか不屈の精神で乗り切りました.
このような修行が何年も続いた16才の時,サント・ハザラ・シン師はバジャン師にマスターの称号を付与するのでした.
(後の1971年にラマ僧のロー・リアンが亡くなり,世界唯一のマハンタントリックとなります)
(在りし日のバジャン師と奥様のビビジ)
1947年,インド国内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の内紛が激化し,
故郷を追われる形となったバジャン師は村人を多数引き連れて500キロ以上離れたニューデリーまで徒歩で移動し,戦火を免れるのでした.
その後,大学で勉学に励み,卒業後は,政府高官にヨガを指導するようになります.
– バジャン師が当時ヨガ指導されていた国立ヨガ研究所(2015年6月) –
そんな生活が数年続き,ある日,知人のカナダ人紳士にカナダのトロント大学でヨガの指導をして欲しいと依頼されました.
バジャン師はこれを快諾し,1968年にカナダに渡ることになります.
しかし,ここで不運が待ち受けていました.
カナダ行きの途中で荷物が紛失し,さらにバジャン師を招いたトロント大学の関係者が,数日前に事故死をしてしまったのです.
そんなことからカナダの地に着くや否や半ば無職となってしまったのです.
しかし,そこはサント・ハザラ・シン師の過酷な修行を耐え抜いたバジャン師です.
地元でヨガの指導をしながら極貧生活に耐え,持ち前の精神力で乗り越えるのでした.
1969年,インド時代の知人がアメリカ・ロサンゼルスにバジャン師を招待しました.
時は,ヒッピー文化の真っ只中で西洋と東洋の文化が交錯するこの土地をバジャン師はすぐに気に入りました.
バジャン師は,ロサンゼルスでヨガの指導を開始しました.
当時,愛と平和を主張するヒッピーカルチャーの若者達はエネルギーに満ちあふれながらも進むべき方向性に悩んでいました.
そうした若者達の間でバジャン師は次第に人気者となり,スピリチュアルリーダーとして生きていくことになります.
若者達に今必要なのは正しいエネルギーの流れと回復だと感じたバジャン師は,
ハタヨガではパワー不足と感じ,当時は門外不出だったクンダリーニヨガを教えることを決意したのでした.
(バジャン師は,その後ハタヨガの指導は一切行わなくなります)
インド国内でも秘密裏に教えられてきたものを外国人に教えることは,もちろん御法度です.
しかし,古い固定観念に囚われず,有益なものは皆で共有すべきと考え,広く公開するようになるのでした.
そして「健康(Healty)で,幸福(Happy)に満ち,神聖(Holy)であることは人間として生きる基本である」という趣旨から,3HO(Healthy, Happy, Holy Organization)を設立します.
バジャン師は「私は生徒を作るためにこの地に来たわけではない,指導者をつくるためにやって来たのだ」と常々おしゃっていました.
師の献身的な活動により,インドの一部の地域のみに伝えられていたクンダリーニヨガは,瞬く間にアメリカ全土へと広がりをみせるのでした.
…師は2004年にお亡くなりになりましたが,今日,私達を含め,世界中でクンダリーニヨガが学べるようになったのもひとえに師のご尽力があってのことです.
私もそんな師の意志を受け継ぎ,自分が学んできたクンダリーニヨガを少しでも多くの方々のお役に立ててもらえるように頑張って参ります.